人生の余白に書きつけられた、ひそかな〈思い〉。
ここに作家のすべてがある。
富岡多惠子
ト書集
2012年8月24日刊行 四六判・220頁
定価1800円 ISBN978-4-906791-04-0
同時代の風景を独特のまなざしで切り取る、「富岡多惠子の証言」。
舞台の裏から芸能の闇をみつめ、文学の師たちの追憶の回廊をめぐり、
女と男の見えない真実と不思議に思いをこらす。
ここにあるのは、〈希望〉をたずさえて生きるためのアイデア集。
目次
序章 わたしの土地
第一章 いまどきの景色
第二章 女と男
第三章 書くことの裏と表
第四章 作者はどこにいる
第五章 めぐりあう
立ち読み
著者紹介
とみおかたえこ●詩人・作家・批評家。詩集『返禮』でH氏賞を受賞し、詩人として登場したのが1958年、評論『西鶴の感情』による大佛次郎賞受賞が2005年、その文業は20世紀後半の全域から今世紀にかけて、まさに激動の同時代をおおっている。
評論・エッセイには、『わたしのオンナ革命』(1972)、『女子供の反乱』(1976)、『詩よ歌よ、さようなら』(1978),『室生犀星』(1982)、『藤の衣に麻の衾』(1984)、『表現の風景』(1985)、『漫才作者秋田実』(1986)、『こういう時代の小説』(1989)、『中勘助の恋』(1993)、『釋迢空ノート』(2000)、『西鶴の感情』(2004)、『難波ともあれことのよし葦』(2005)、『隠者はめぐる』(2009)ほかがある。
カズさんの編集後記
かわいそー主義
かれこれ二十数年前になると思いますが、はじめてお訪ねした玉川学園のご自宅で、富岡さんと愛犬とが目で対話するところを目撃しました。もちろん言葉はありませんが、そこには間違いなく意味が成り立っていて驚いた記憶です。
土丸君はシバ犬でした。「洋犬と違って、和犬にはもののあわれがある」のだそうです。たしかに何の飾りもないたたずまいには、一種はかなげで、けなげな様子がうかがえる気もします。
「私は、かわいそーシュギやから」とは、何度もうかがったフレーズです。「かわいそー」と言っても、決して上から目線ではないのです。言ってみれば「もののあわれ」、生きていることのシンドサやドーシヨウモナサを受け入れて、言挙げせず、飾り立てず、ただたたずんでいる姿に鋭く感応してしまうこと、私はそう理解しています。
本書には、「もののあわれ」の収集家、富岡多惠子の本領があふれています。折々に、まさにつぶやくように書かれた随想には、いつものシャイネスの抑圧をすり抜けて、ホントーが流れ出るようです。犀利な論理性と観念力をすかして、ヒトの喜びと悲しみに共振するしなやかさと、日常や常識とは異なった次元をいつも望み見ようとする宗教性すらうかがえると思います。