湯殿山の哲学――修験と花と存在と

書下し・存在の秘法──湯殿山は花だ。存在の花なのである

 

 

湯殿山の哲学修験と花と存在と

 

 

山内志朗

 

2017724日刊行 四六判・上製 240

本体予価 2500円 ISBN978-4-906791-71-2 C0010  

 

 修験の山の奥の奥、その最深部に秘された信とは何か。本尊の懐の地を出自とする著者が、はるか西洋中世哲学の回廊を旅した果てに、再びこの問いに戻ってきた。厳密な論理の畑を耕すときも、湯殿山はいつも「私」に呼びかけていた、風のように、存在のように。

 

 即身仏や修験の行者……、湯殿山信仰の本質はこれらに尽きない。語ることを禁じられた内実に出会うためには、遠回りする必要がある。それは「私」への旅、そして私を包み、在らしめる〈存在〉への道であった。

香山リカ氏評

 

「湯殿山は花だ。存在の花なのである」と、この書の最後に山内さんは記す。西洋哲学で言われる〈存在〉は一般的で抽象的だが、湯殿山の近隣で生まれ育ち、ごくあたりまえにその研究を続けてきた著者にとっての〈存在〉は、もっとやさしげではかなげで、この世界にふたりとない〈私〉をそっと成り立たせるものだ。それを山内さんは「花」と呼んだ。湯殿山とスコラ哲学の上に、そしてそのあわいにたゆたう〈私〉の上にも、途切れることなく花がふりつむ…。これぞ山内哲学の到達点なのではないだろうか。

目次

 はじめに 山の彼方へ

第一章 湯殿山の泉

第二章 花の存在論

第三章 本道寺という村

第四章 自然と哲学

第五章 水と川と山からなる世界

第六章 湯殿山への道

第七章 湯殿山と仙人沢

 

終 章 スコラ哲学へ

著者紹介

山内志朗(やまうち・しろう)

 

1957年生まれ. 専攻, 中世哲学. 東京大学大学院博士課程単位取得. 新潟大学人文学部教授を経て, 現在, 慶應義塾大学文学部教授. 著書に, 『普遍論争──近代の源流としての』(哲学書房, 1992, 『天使の記号学』(岩波書店, 2001, 『ライプニッツ──なぜ私は世界にひとりしかいないのか』(NHK出版, 2003, 『笑いと哲学の微妙な関係──25のコメディーと古典朗読つき哲学饗宴』(哲学書房, 2005,『〈冗長さ〉が大切です』(岩波書店, 2007, 『〈つまづき〉の中の哲学』(NHK出版, 2007, 『存在の一義性を求めて──ドゥンス・スコトゥス13世紀の〈知〉の革命』(岩波書店, 2011,『「誤読」の哲学──ドゥルーズフーコーから中世哲学へ』(青土社, 2013,  『小さな倫理学入門』(慶應義塾大学出版会, 2015),『感じるスコラ哲学 存在と神を味わった中世』(慶應義塾大学出版会, 2016)ほかがある.